劣等感のかたまり

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実家はお金持ちである。
・・・と言ってもこれは自慢話ではない。

両親や兄弟が立派であればあるほど
そうではない家族の劣等感は悲惨なものだ。

幼少期に貧困家庭で育ち、お金に貪欲で、いくつになってもピーターパンのように自由な父。
人に合わせる方が得意で、どこまでも献身的に支え続ける母。

そんな大阪で生まれ育った両親は大阪で社内結婚をした。

当時、父はサラリーマン。
母は専業主婦だった。

父は私が3歳、弟が1歳の頃
趣味のバイクに乗って事故をし、会社を2~3週間休んだ。

その後、東京への出向が決まる。

母はそれを聞いた瞬間、左遷だと勘付いた。
大阪を離れることなんてこれっぽっちも考えずに来た人生だった為
かなりの抵抗感があったと言う。

父はそれをわかっていたか、わからずなのか
「東京は大阪とでは規模がちゃうねん。ビジネスチャンスに溢れている。武者震いがするわ~!!」
「東京に骨を埋めるつもりでおってくれ。」
と告げたそうな。

その後、その言葉通り東京で家を買い
サラリーマンの間に取得した資格を武器に脱サラをする。

もともと人に合わせるのが苦手でお金が大好きな父は
自分の好きな人とだけ関わっていれば良くて
尚且つ、働けば働いただけ収入が上がる自営業は天職だった。

競合が少なく、法に守られた職種なので
自営業と言えど安定した収入がある。

水を得た魚のように働き
私が大学に入る頃、高級住宅街にある家の向いにもう一軒家を建てた。

その後、私は学費が高くて有名なお嬢様大学に進学。
2年後に弟も有名私立大学に入学したが
2人分の学費を1年分まとめて支払いながら
もう一軒の家のローンも私が大学を卒業して数年後には払い終えていた。

そんな商売人家庭なので
両親はお金の話が大好き。

あの人は年収がいくらだの
株がどうのだの
あそこの土地代がいくらだの、家がいくらだの
常に経済の流れに目を光らせていた。

私はそんな話がイヤだった。
もっと家族らしいほのぼのした会話を求めていた。

打って変わって2歳下の弟はそんな話が好きだった。
その後国公立の大学院に進学し金融系の一流企業に勤め結婚。
お嫁さんもエリートコースの共働き。
20代で世帯年収は1700万円。

7歳下の弟はなんとなく難関私立大学に入学し
なんとなく一流企業に就職。
20代前半で年収500万円。

幼稚園教諭だった私の年収は300万円。
大学もお嬢様というだけで
偏差値は中の中。
しかも幼稚園を辞めアルバイトをしていた時は
定かではないが年収100~150万円。
さらに、婚約破棄をした傷物。

お姉ちゃんとしてのプライドだけは高かったが
家庭内格差はひどいものだった。

家庭内格差だけならまだよかったが
高級住宅街で育ち
お嬢様大学に進学した私の友達もみんな社会的に立派な人たちだった。
本当に眩しかった。

話を戻すと、
収入を重視する商売人家庭で
私は価値のない存在のような気がしていた。

実際はきっと自分が思っているよりは応援してくれていたと思うが
その時の私は劣等感が強すぎて受け取れなかった。

だから大阪の祖母の家で
私は初めて条件のない愛情を祖母から受けて幸せだった。

私もお金がなかったけど
みんなお金がなかった。

幼稚園勤務時代まではがんばっていたけど
婚約破棄後アウトサイダーになった私は
久々に大阪の下町で普通の人間になれた気がした。


続く



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